1925(大正4)年に制定された上野学園の校章は桜花をかたどり、これに八稜鏡(はちりょうきょう)と呼ばれる八角形の古代鏡を配したものです。桜花は本学園のある上野に縁のある花でもあり、平和の春を愛する精神を表します。三種の神器の一つでもある八稜鏡は、清浄明徹(せいじょうめいてつ 清らかでけがれがなく、明らかではっきりしていること)なる魂を表すと共に内省自戒(ないせいじかい 自分自身の心の働きや状態をかえりみて、自分を戒めること)を訓えるものです
一説によると上野学園は校章をバッジ(徽章)にした最初の学校と言われていますが、真偽のほどは確かではありません。ただし開学間もない頃から、校章バッジがあったことは分かっています。右の写真は大正時代の物で、学校指定のえび茶の袴を着た平服姿の生徒達です。袴の後ろ紐に銀製の校章バッジを通し、正面から見るとウエスト左側に来るように着用していました。バックルのように大きく、制服が制定された後も大きなバッジ(直径約5センチ)でしたが、銀の高騰等の影響により徐々に小さくなり、現在は次の物が使用されています。
短大
(直径1.8センチ)
中学校?高等学校(男子)
左:女子(直径2.5センチ)、右:男子(直径1.7センチ)
昭和3年11月14日、昭和天皇の御大典記念として、校旗が制定されました。鹽瀬の地を金モールの房で囲い、地色は古代紫です。校章の桜花と八稜鏡は金糸、葉は緑糸、萼は白糸で刺繍されています。桿帽は金色金具に桜を打ち出し、桿は漆黒となっています。
1918(大正7)年に制定されたこの校歌は、中学校から短大まで共通しています。
上野学園の創立者、石橋藏五郎が作曲し、作詞は「東洋のシェイクスピア」と言われた小説家?詩人の山田美妙(やまだ びみょう、1868-1910)です。美妙は普段の言葉で文章を書こうという言文一致体や新体詩運動の先駆者としても知られています。
歌には上野学園で学ぶ者としての心構えが表されています。一番は春を歌ったものです。春になって上野の山には桜を初めとする花々が咲きとても美しく、人々は浮かれています。でも、上野学園の学生生徒は、花々の美しさを愛でながらも、そんな時にこそ、気を引き締めて勉強しましょうという意味です。
二番は秋です。さわやかな季節は本を読み、深く物事を考える良い季節です。知識を増やし、感受性や想像力を高めて、心を豊かにしましょう、それはあなたの一生の財産となりますという意味です。